第18章(前半)/なぜ第18章のシナリオは完成度が高い(当社比)と感じるのか

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このページでは、第18章前半がとても丁寧に書かれていて感動したよという話を書いていきます。

前置き[編集 | ソースを編集]

第18章前半はリュカを中心とした物語であるが、あまりにもリュカが主人公っぽいということで話題になっただろうことも容易に想像がつく。それくらい18章前半は魅力的だし、メインストーリーが1章の半分ずつ追加という形になったことについて心配する必要はなかった……というかこれだけの完成度ならば半分ずつのほうが消化不良にならなくてよかったとすら思いかねないレベルだ(※個人の感想です)。

この章の爽快感の多くは、弱いとされていたリュカが強いと豪語するガイエンを討ち倒したことにもある。ガイエンといえば悪い意味での唯我独尊の具現化。アギトの中でも一番話が通じずヘイトを稼ぎまくっているようなキャラクターだ。よりによって18章の冒頭では一応の身内であるタルタロスやネデウにすら釘を差される始末。

しかし、この時点ですでに……我々はライターの、いやドラガリ制作陣の思うツボにスッポリとハマっていたのだ。

ガイエンという『悪』[編集 | ソースを編集]

アギトの連中は様々な背景をその身に宿している。そして基本的には味方の同属性メインキャラと対になる存在であり、鏡写しの明と暗の関係として設定されていることは比較的すぐに気づく。アヤハ&オトハの「2つの身体に1つの心」は、ラキシ&マスキュラの「1つの身体に2つの心」とまったく逆であるわけだ。性格も「機械的」なのと比しての「自由で無軌道」だ。

……その理屈を進めていくと、ガイエンというキャラクターはなるべくしてなった悪行キャラだとも言える。リュカが底抜けに良いやつ過ぎるからだ。イタズラ好きで妹にすぐ鉄拳制裁されるし呆れられたりもしつつ、誰とでも打ち解けてすぐ仲間になれる。そしてイザというときには秘伝の薬や冷静な判断力で仲間の窮地を救い、頼りになる……というを考えればいい。

生真面目すぎて他人を鉄拳制裁し、周囲が呆れてやれるほどの精神的余裕はなく緊張感に溢れ、誰とも相互理解できず仲間はできず、イザというときには狼狽し判断力も失い、見捨てられる……うわ書いてて悲しくなってきた。

しかし実に悲しいことに、ガイエンはこの通りの末路を辿ってしまった。これまでのルヴやシェルシエルがランザーヴやエルフィリスと一縷の相互理解を築いてから決別したのに対し、ガイエンは「たぶん生きてる」ということで生死の確認すらしてもらっていない。リュカにとってはガイエンはダチになれる相手ではなかったということだ[1]。ガイエンがやったことを考えれば当然ではある。

ガイエンがやったことを考えれば。

この言葉を聞いて「そうだよなぁ」と頷く方と、「そうなの?」と思う方と、ここを読んでいる方には両方が存在するかと思われる。実は、ここがドラガリというゲームの巧妙かつ素晴らしい部分でもあるのだ。

リュカという『弱き』[編集 | ソースを編集]

リュカは不遇キャラである。そう聞いてピンとくるかどうか……というのは、ドラガリのプレイ歴の長さと比例すると筆者は考えている。なぜならば、次々に別衣装やドラフェスバージョンが実装される仲間たちに比べて一人だけ取り残されるように実装が遅く、ドラガリのパーティが4人であるところを5人目の仲間であることから省かれるシーンも多く、後から仲間になるムムの方が目立ち、イベントでは先にドラフェス登場したシーリスのおまけ扱い……そんな時代がリュカにもあったからだ。

やっと別バージョンと思えば水着Ver.で遊び人としてのイメージだけが先行してしまう……特にリュカを好きなファンたちからは、そうした待遇への不満の声も少なからずあった。そんな中で、転機は訪れた。第11章でのマスキュラとの出会い……そして別れ[2]、そして満を持して登場したドラフェスVer.のリュカと、そのキャラストーリーだ。実にドラガリのサービスインから1年4ヶ月ほど経っての抜擢となったわけなのだが……

ドラフェスVer.の彼の物語は、いまのところ他のドラフェスキャラとは異なる性質を持っている。それは、彼のキャラストーリーが物語上で正確に何時の時点で発生したかが明確であり、そのことを前提として「ドラガリアロストの全体の物語」が出来上がっているということだ。もう少し言えば、マスキュラとの出会い(第11章)→刀を受け継ぐ→ドラフェスVer.ストーリー→ガイエン叛逆戦プロローグ→(中略)→第18章という流れが完全にできあがっている。そう、「全体の物語」とはメインストーリー以外でも展開される物語、あるいはエンドコンテンツの実装時期すらをも総合的に俯瞰したときの話だ。

もっとわかりやすく言えば、プレイヤーのリアル時間とともに成長してきたキャラクターなのだ。早くに彼の真の魅力を見抜いた人にとってはもどかしい時間、そうでない(私も含め)人にとっては彼は『弱き』であると認識するだけの時間、彼は臥龍であったのだ。そのため、長くプレイしていた人間ほどに『弱き』のハズであったリュカが強き者として君臨するガイエンを打倒することに言外の説得力を感じている。逆に言えば、ガイエンのいう『弱き』が何なのかを嫌というほど知っているともいえるわけだ。

ここで、先ほどの「ガイエンがやったことを考えれば」という言葉が、実はプレイヤーによって重みの違う言葉であることが効いてくる。ドラフェスVer.のストーリーにはガイエンは登場しないが、ドラフェスVer.のストーリーではガイエンが潰した村そのものが、そこに生きていた人たちの喜びや葛藤を乗り越えて生きていく様が鮮やかに描き出されている。そして、その最中にリュカが悩み、選択し、強くなっていく様がハッキリと描き出されている。ならばこそ、リュカの抱える憤りがいかに激しいものであるかを理解せざるを得なくなる。

ドラガリの物語を長く深く追ってきた人こそ、リュカの活躍は輝いて見える……それこそ、主人公を食ってしまうほどに。いわばここまでの展開全てがリュカのための伏線であるとすら言えるからだ。逆に、最近読み始めた人にとってそれはエルフィリスの覚醒シーンとあまり変わらなく見えるのかもしれない[3][4]。だが、それはそれで良いのだ。自分の実体験とあまりに乖離した感動体験など、無理な押し付けにしかならないのだから。

ガイエン退場の意味[編集 | ソースを編集]

かくして、ガイエンは最初にアギト衆の中で退場することとなった(ように見える[5])。この結末に至るのもある意味では必然で、ガイエン叛逆戦のプロローグにおける舌戦で既にリュカはガイエンを論破している。ガイエンの主張もある意味では正鵠を得ているかもしれない[6]が、少なくともリュカの価値観においてそれらは聞く価値のないものだったし、我々プレイヤーにとっても同様だっただろう。

これでリュカとガイエンの間にあった対立は終わった……あるいは、ひとつの局面を迎えた。そうなると、ここでリュカの成長物語は終わりを迎えてしまうのだろうか。

……いや、そうではなく、仲間同士が支え合うことで互いを高め合うことができる、というテーマが示されたのが第18章である。幻惑を打ち破ったユーディルもそうだし、ジャンヌダルクが生まれ変わったのもまさにそれだ。百歩譲ってリュカ個人の成長がここで止まる要素があったとしても、リュカが他人を成長させ、成長した仲間がリュカを引っ張る展開になるであろうことは予想ができる。そして、そう思わせるに値する十分な説得力という種=伏線を撒いてきたのがドラガリアロストという作品である[7]

「ドラガリアロストは据え置き型ゲーム機でリリースしても良いレベルのクオリティを持つ」などと評されるのを聞いたこともある。それならば、なぜ当初からソシャゲ作品として展開しているのだろう。いくらCygames主体の開発[8]と言っても、任天堂がパブリッシャー[9]ならば、Switchあたりの買い切りソフトでも構わなかったかもしれないのに。

今回のリュカのような展開などを通じて、筆者はあえてソシャゲという媒体で展開していることを強みとして活かしているのがドラガリアロストという作品なのだと解釈した。近視眼的に儲かるソシャゲを作るのも手だが、ソシャゲだからこそ可能な作品を作ろうとしているのがドラガリだと感じるのだ。だからこそ、1年4ヶ月も温存したリュカドラフェスVer.のような思い切りのいい展開も可能だし、一方でいわゆる普通のソシャゲ的な展開ができずに苦労している面もあるのだろう。

セールス云々がよく話題に出てくるのは筆者も重々承知してはいるが[10]、少なくともドラガリアロストという作品にとっては今回の18章もまた次なる展開の「種」でしかないのかなと考えている。

ところでジャンヌダルク[編集 | ソースを編集]

今回のストーリーではジャンヌダルクが新たに目覚め加勢してくれる。実はジャンヌダルクのドラゴンストーリーでは、深い霧に視界を奪われ迷った少女や兵士たちを正しき道へと導き戦に勝利させた伝説としてジャンヌダルクが語られている。奇しくもこれは吹雪で視界を奪われ迷った者たちを正しき道へと導くという本章のストーリーと近似している。そして、ヴォイドという混迷にあったジャンヌダルクを導いたのはフォレスティアであるリュカであって、かつて人を導いたジャンヌダルクを人であるリュカが導いたシーンでもある[11]

互いの絆を確かめ合い、竜と人との絆を信じるというユーディル一行の信念を補強する伏線がここでも回収されていたわけだ。


※以上、与太話についてコメントや追記などお待ちしております。

脚注[編集 | ソースを編集]

  1. そんな対極に位置する相手に、なぜガイエンは執着を見せたのか……この部分には引っかかりを感じるが、ここでは一度置くとする。
  2. ココロは生きているが、実質的には別れと言って差し支えないだろう。
  3. 前述の通りルヴとランザーヴにはまだ「仕事が残っている」と思われる。
  4. もはや筆者にはそれを第三者的観測できるほどの公平さは失われてしまっているが
  5. それこそ死んだとは思えないが、次回出てきて同様のドヤ顔はできないだろう。ルヴとはそこが違う。
  6. 種として、進化論としての大局的な視点。ただしガイエンのそれは社会性を見せる群体生物についての観点が抜け落ちていると思われる。
  7. まぁその種のおかげで次の瞬間には絶望顔になってるかもというハラハラ感を提供してくれてもいるのだが(遠い目
  8. ※推測です
  9. アプリの配布は任天堂名義で行われている。
  10. いわゆる普通のソシャゲとしての収益分岐点尺度で語られてしまうこともその一因であると筆者は思う。
  11. そして初めての共同作業としてダイナミックガイエン入刀……いや夫婦じゃないんだけども。